美橙礼讃の記憶

category: 御白紫苑  


ラスト。これが多分最後の作品になります。

……「びとうらいさんのきおく」とでも読むんだろうか。雰囲気で適当に漢字の名前をつけたので、読みは曖昧です。

今年も無事に出版された海老銃部誌「Begin‐U」(メディアの森等に置いてありますので、見かけた方は是非お手にとって見てください。面白い作品いっぱいです!)。私は今年「自作自演劇」という作品を投稿しました。あれも自分の考え方をそのまま反映させたような作品でしたが、これも負けず劣らず、自分の信念というか、生きる理由? 考え方? のようなものを如実に反映しているかもしれません。最後にぴったりなんじゃないだろうか、と思い、投稿することにしました。

何かしら、読む方に何か感じさせることがあれば、書き手として幸福です。
今まで自分の小説を読んでくださった方、ふとこのブログに立ち寄って読んでみてくださった方に心よりの感謝を捧げつつ、私は筆を置くことにします。


※最後まで読んでいただけるとわかるかもしれませんが、この作品は自殺を賛美・推奨するものではありません。あしからずご了承ください。
 


 僕が高校生の頃の話だ。

 高校への通学路に、大きな川をまたぐ橋がある。氾濫対策のためか、割と高いところに架けられている。その幽霊を見るのはいつも下校のときだ。橋の袂に立つと、橋の真ん中辺りで欄干の上に仁王立ちしている女性が見える。腕組みまでして、最早風格まで感じられるたたずまいだった。あまりに自然にそこにいるので、初めて見たときは我が目を疑った。
 その人が幽霊だと気づいたのは、僕がぽかんとしているあいだも周囲の人が誰も声をかけなかったからだ。事なかれ主義のためにその人を避けているという感じでもなく、その人が本当に見えていないというように、皆はすたすたと立ち去っていく。霊感など全くない僕なので、これが初めての幽霊との遭遇ということになる。普通なら怖くなったりするのかもしれないけれど、幽霊があまりに堂々としているので、恐怖感は全くなかった。
 初見の衝撃から立ち直って、少し落ち着いてその女性を観察すると、少し妙なことに気がついた。あんなところで幽霊になっているということは、おそらくあの女性は橋から飛び降りて自殺したりした人なんだと思う。それ以外考えようがない。けれど、仮にそれが正しいのだとしたら、普通は川のほうを向いて立っているものなんじゃないだろうか。なぜあの人は川の方ではなく、橋の通路のほうを向いているのだろう?
 そんな小さな違和感を覚えた瞬間に、その人は動いた。ぐらりと体が傾いて、その女性は橋から落ちていく。


 背中から。


 横から見ていて、それはひどく不思議な光景だった。まるで空を見るために芝生に横たわるときのように、女性の重心は自然に後ろに動いていく。女性の顔は上を向いていた。女性の視線の先には空が広がっている。黄昏の柔らかな橙が広がる、布のように優しい空だった。
 ぐらぐらと揺れていたボウリングのピンが耐え切れなくなったときのように、女性の重心は徐々に頭へと向かっていく。欄干が支えきれないところに重心が移動して、女性は放り出されるように離れていった。ひどくゆっくりと、それでいて一瞬で、その体は落下していく。落ちていきながら、女性は上へと手を伸ばした。
 欄干をつかもうとして伸ばされた手だったのだろうか。その時は、そう思っていた。それが違うということを、ある日を境に知ることになる。


 下校のたびにその女性は橋から倒れるように落ちていく。落ちていくだけで、特に通行人に祟ったりという様子もない。幽霊の割りに怖さがないので、僕は少し警戒心がなくなった。そして、好奇心が湧いた。遠くから落ちるところを見たことはあるけれど、落ちている最中の女性を正面から見たことはない。どんな表情で落ちていっているのだろう。恐怖のあまり叫ぶ顔だろうか。叫び声が聞こえたことはないけれど。あるいは何かの無念に歪んだ顔かもしれない。だとしたら、伸ばした手は例えば、自分を突き落とした相手に伸ばされていたのかもしれない。そんな漠然とした空想が、僕にその行動を起こさせた。
 落下した女性を、橋の上から覗き込むというその行動を。
 その日その女性が倒れたのが、偶然僕が通りかかったときだった。ライムグリーンのワンピースの裾を風圧になびかせながら――残念ながら真正面ではなかったので、パンツを覗くことはできなかった――重心をゆっくり後ろに倒していく女性。その姿が完全に欄干の向こう側に消えるのを見て、衝動的に駆け寄り、覗き込んだ。
 ああ、彼女の、あの表情。
 彼女は僕の方を見ていた。そして、焦点は決して僕に合っていなかった。彼女が見ているのは、僕の頭の向こう側、遥か頭上。思わず視線を追って上を向く。そこには何も無い。空以外には。ビロードのようにやわらかく広がる、橙の美しい空以外には。
 再び川に飛んだ女性に目を向ける。その瞳は、やはり僕の上を見ていた。今度は、目を逸らせなかった。その瞳。斜陽の光を映して、赤く煌煌と輝くその瞳。それは明らかに、空を見つめていた。刻一刻と紫が侵食しつつある赤みがかった橙の空を、その赤い瞳で見つめている。彼女の視界に、きっと僕のような異物は映っていないのだろう。そう思えるほどに、眼差しはまっすぐぶれずに、先を見つめていた。
 そのままじっと彼女の瞳を見ながら、彼女が川へ落ちゆく様子を眺めていた。幽霊は体重が軽すぎて、空気の抵抗を受けやすいのだろうか。そう思えてしまうほど、彼女はゆっくり落ちていく。落ちるというより、沈んでいるのかもしれない。重力に引っ張られているはずなのに、水の抵抗を受けているようにその落下はゆっくりだ。彼女を待ち受けている川は、空の色を映して橙に染まっている。まるで空そのもののように川はそこに在り続ける。彼女はそこに、ゆっくりと沈んでいく。
 そう、彼女は空に沈んでいた。川は空の色をそのままに映し、波打つ水面がきらきらと輝いている。きっと、今飛び降りている彼女は知っているのだろう。この美しい空を視界いっぱいに収めながら、その色の中に包まれて最期を迎えられるということを。


 なんて、幸せなことだろう。


 心の底からそう思った。好きなものを見つめながら、好きなものの中で最期を迎えることができる。そのことを、酷く羨ましく感じた。腕は真っ直ぐ空のほうへと伸ばされていて、きっと彼女は空へ浮かぶことを、天へ昇ることを望んでいるのだろう。だが、それに反して沈んでいきながら、彼女の表情に苦痛はない。寧ろ、穏やかな微笑みを浮かべてさえいる。彼女は知っているのだろう。空へと昇ることはできずとも、今自分が空に沈んでいるのだということを。
 彼女の視界を想像してみる。空をつかもうと伸ばした手。その願いに反してどんどんと遠ざかっていく美しい空、雲、斜陽。遠ざかるそれに向かって一段と腕を伸ばすが、どう足掻こうと届かない。けれど、心は穏やかでいられる。自分が空に向かって落ちていることを、知っているから。空からどんどんと遠ざかりながら、空へと近づいているという矛盾。手に入れられない空を求めながら、空に包まれることが出来るのだ。川に沈んだ後も、その美しさは途絶えることがない。寧ろ水面という膜一枚に隔てられることで、ぼやけて幻想的な景色になるだろう。その様を、意識を失うまで見続けていられるのだ。求め続けることができるのだ。
 彼女が羨ましい。手に入れてしまえば、求め続けることで得られる心の充足も絶えてしまう。だが、彼女がそうなることはない。彼女は求める空から遠ざかり続けているのだから。それでいながら、求める空に近づくことができるのだから。


 ああ、なんという幸福なのだろう。


 地縛霊というのは、自殺した人間にとっての罰なのだと聞いたことがある。沈み続ける彼女も、ここで同じことを繰り返し続けているということは、きっと地縛霊なのだろう。だが、彼女にとって地縛霊であり続けることは、決して罰ではないはずだ。寧ろその表情を見る限り、望んでその立場にい続けているように見える。屍(かばね)が腐れ落ち、現世に縛られることがなくなった彼女は、心ゆくまであの幸福に浸り続けることができるのだ。
 何と、甘美で、幸福なことなのだろう。
 僕はひたすらに、彼女が羨ましかった。


 これが、僕が高校生の頃の話だ。
 今でも時々、あのときの彼女の表情を、姿を、思い出す。紅混じりの橙に染まった川と空、その中に沈んでいくライムグリーン。そしてその心のあり方。
 自殺する気など毛頭ない。現世には、生きていなければ体験できない楽しいことが多すぎる。それでもふと、時々あの女性が羨ましくなる時がある。そんな時僕は、あの橋に足を向け、その美しい景色の中に自分の身を置いてみるのだ。


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2017_03_22

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