スポンサーサイト

category: スポンサー広告  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--_--_--

フォーマルハウト-ある焼け落ちた家屋で発見された手記-終編

category: 黒山羊  

では、予告通り、終編です

『フォーマルハウト―ある焼け落ちた家屋で発見された手記―』

これにて閉幕でございます
長い間お付き合い頂き、本当にありがとうございました!
 

    7

 あの臭気の地獄ともいえる口腔に入るにあたって、私はせめてもの対策としてガラクタ部屋から衣類を引っ張り出し、口と鼻の辺りをそれでグルグル巻きにして、マスクの代わりにした。当然それらの衣類にも例の臭いは染みついていたが、あの悪魔めいた口臭に比べれば、心地良い爽やかな、そして高貴な控えめさを備えた香水と変わらなかった。
 この対策と覚悟、それと扉を開いたまま放置したおかげで多少なりとも臭気が弱まっていたこともあって、何とか思考を保って進むことができそうだった。
 少し石段を下りると、ぬめぬめとした青白く光る苔のようなものが床、壁、天井に点々と生えはじめ、踏みつけるとひどく滑りやすいので一層注意して進まなければならなくなった。
 その上、臭気のせいか、はたまた別の何かのせいかは分からなかったが、たびたび通路が腐った肉と臓物が脈動している化け物の体内に変じる、悍ましい幻覚が見え、私の歩みをさらに遅らせたのだった。
 通路は迷宮が広がっているのだろうという固定観念的な私の予想に反して一本道で、少し歩き続けるだけで扉に突き当たった。
 その部屋は一見すると書斎のようで、広さは大体四、五メートル四方、入ってきた扉に対するようにして、さらに奥に扉があった。ほとんど腐れ果てた、かつては気味が悪いにせよ見事な装飾があり重厚だったであろう書き物机があり、和綴じのものから分厚い洋書、さらには巻物までがこれでもかとばかりに詰め込まれた床から天井まである本棚が壁一面に聳え立っていた。ただ、私が、いや誰でもこの部屋に関しては、すぐさま食いつく異常極まりない点があったのだが、それについては読者諸兄により強く意識してもらうために、他の雑多の要素を上げてから後述することにする。
 残念ながら──今思えば余計に正気を蝕まれることはなかったのだから幸運にもというべきか──凄まじい量の蔵書は虫食いだらけな上に、ほとんど塵に変じてしまっていて読めたものではなかった。
 唯一、書き物机の引き出しから見つけた和綴じの書物は、どうやら赤駒巽の手記のようだったが、それも辛うじて、「成長速シ」「死ンデシマッタ」「役立タズ」「真ノ御子」「嗅ギツケラレタ」といった断片的な内容が見て取れたのみで、私にはさっぱり意味が分からなかった。
 さて、先述したこの部屋の異常極まりない点を記すことにしよう。
 部屋に入ってすぐ、床、天井、壁、本棚の枠など、ありとあらゆるスペースに、数えきれない程の長方形の黄色がかった金属板が、執拗に打ちつけてあるのが私の視界と意識を喰い尽くしたのである。
 金属板は地上の廃屋で見つけたものと、鍵のようになっていないことを除けばほぼ同型のもので、文字が彫刻されている点も同様だった。ただ、文字の種類は驚くほど多岐に渡り、漢字、アルファベット、楔形文字、甲骨文字、ヒエログリフ、ルーン文字、等々、辛うじて私でもその種類が分かるもの、どこかで見たことがあるようなものから、全く見たことのない、ともすれば文字なのかどうか怪しいものまであった。どれも劣化し、薄くなっていたが、私は発音の把握できるアルファベットのものに絞って探し、ようやく何とか全てが読めるものを見つけ出した。その時に撮った写真を掲載する。

 ia ia Hastu(a?)r

 発音するならば左二つのia ia は「いあ いあ」で──前の私の予想は正しかったらしい──右のHasturもしくはHustarは「はすとぅーる」もしくは「はすたあ」であろう。大文字で始まっていることから何らかの固有名詞であることは明らかで、赤駒村の連中が崇拝していた神の名前というのは実にあり得る話に思えた。
 いずれにせよ、この金属板の群れによる視覚的な邪神への合唱は、不快極まりないもので、たとえどれほどの恐怖にさらされようとも、このような冒涜的なものに祈ることなど決してするまいと、私に決心させたのである。
 私が再び進むことにし、部屋の奥の扉を開くと、また例の苔に覆われた、ふとした瞬間に肉と臓物の壁へと変わる通路が口を開けた。
 そこから先はしばらくの間、言ってしまえば当時の私にとって取るに足らない──全く慣れというものは恐ろしいものだ──もので、例の通路が続くばかりだったが、やがて視界に飛び込んできたものによって、愚かしい私の余裕はいともたやすく吹き飛んでしまった。
 その広間に入った瞬間は、あまりの眩しさに直ぐに様子を確認することができなかった。しばらくしてようやく目が慣れてくると、どうやら例の光る苔が活性化しているらしく、広間全体をまばゆく照らし出しているのに気がついた。苔は通路の比ではない密度で密集しており、その光のおかげで広間全体をくまなく見渡すことができた。
 広間の広さは大体十五メートル四方。材質が石材から木材に戻っており、おそらくこのことが苔の密集に関係していたのだと思われる。
 かつては跳ね上げ戸があったであろう分厚い床は恐ろしい力で下から吹き飛ばされたらしく、広間の中心には直径五メートル程度の円形の穴が口を開け、残骸がそこら中に散らばっていた。
 どうやらこの広間はあの梅の大樹の真下に位置しているようで、天井からはあの黒々とした大蛇のような根が無数に垂れ下がり、大穴の中へと消え、またいくつかは壁面と癒着しているようすは、広間を蛇の巣窟のように錯覚させるのに十分だった。
 大穴を見下ろしてみると、苔の光の入射角が悪いせいか、底の様子に関しては、おそらく十五メートル程下に地面があるであろうことが窺えるに留まっていたし、かつての階下への木製の階段は、落雷に打たれた古木の方が幾分かましといった有様であった。穴の奥からびょうびょうと生温い風が、あの臭気とともに容赦なく吹きつけて来ることからして、どうやら外へと繋がっているらしかった。
 私は仕方なしにロープで階下へ下りることにし、慎重に強度を確かめた広間の柱にしっかりとロープを結び、そろりそろりと下りて行った。割れた床の尖った断面は気にかかったが、他に階下に下りる手段はなかったし、例の半透明の泥がたっぷり付着していたので、大丈夫だと判断した。
 相変わらず生温い暴風が吹きつけ、私は一本の蜘蛛の糸に縋りつく咎人のように、なすすべもなく揺られていたものの、半時間にも及ぶ相当な努力の末に、何とか階下の床を視認できる位置──高さ三メートル程度──にまで降下することができた。
 しかし、地面が見えたことで些かの油断を抱いていた私は、束の間自身の体を支える力が失われたことに対処することができなかった。ロープを結び付けた柱の強度は十分だったが、肝心のロープ自体の強度は、半透明の泥が緩衝材になっていたとはいえ、割れた床の鋭利な刃物のように尖った断面と、強風により振り子のように揺られる私の体重に、半時間以上も耐えられるものではなかったのである。
 さらに悪いことに、ロープが切れたのは強風によって私が大穴の中心へと揺られていた時だったため、数メートル上方に投げ出された後に自由落下することになった。放物線を描くように放り出されたことと、LEDランタンや苔の光が乱射されたせいで、上下感覚が完全に失われ、着地には全く向かない体勢で私は地面に叩きつけられた。
 落下の衝撃で私はしばらく動けなかったが、不幸中の幸いで、階下の床が木製、しかも半ば腐っていたために、落下の衝撃を和らげてくれたようだった。そのため比較的軽傷で済み、続けて歩くことはできそうだった。もっとも、後に検査を受けたとき右足の骨にひびが入っていたことが発覚した。ただ、このひびがこのときのものかは判然としないし、そうだったとしても、感覚も麻痺していたためか気がつかなかった。
 体を起こして落ち着いてから辺りを入念に照らしてみると、この空間が例の座敷牢の特大版を地階に作ったらしいもので、例の半透明の泥が今までで最も多いことが把握できた。牢の奥の光を飲み込んでしまう暗がりから、相変わらずねっとりとした暴風が吹きつけてきており、その先が外へ通じているに相違なかった。ただ、単純にこの空間への興味と、それを捨て置いて先に進むことへの僅かばかりの不安感から、私はまずはこの空間を詳細に調べてみることにした。
 格子は当時、木と鉄製のパイプ──水道管の特大版と言えば想像していただけるだろうか──を複雑に組み合わせて作られたようだったが、今はほぼ完全に吹き飛んでしまっていた。格子の大きさにしても、大の大人が悠々と通り抜けられることは、残骸からですら明白で、つまりよほど巨大な何かがここに閉じ込められていたことを如実に表していた。もっともこの事実は、梶村の部屋で見つけた紙片から、内心私が予想していたことではあったのだが。
 上階への階段の痕跡は辛うじて立っているものの、ほとんど崩れかけていて、実際調べようと触れた途端、音を立てて崩れてしまった。
 このことには些か驚いたが、結果として、階段に向かおうとする形で倒れている二つの死体に気がつくことになった。先ほど見回したときに見つけるに至らなかったのは、この二体の骸が半透明の泥に埋まるようにして倒れていたためだ。どうやら泥に塗れた巨大な何かで上から叩きつけられたようだった。
 屈みこんでよく調べてみると、この村で今まで見てきた死体と異なり、ミイラ化しているわけでも白骨化しているわけでもなかった。まさしく腐敗している最中といった感じで腐肉がこびりつき、腐敗と上から押し潰されたためか、半ば崩れた表情には、どれほどの地獄めいた光景を見たらこのようになるのか僅かにも推し量ることとて不可能な恐怖に彩られていた。
 二人ということで、村に来る前に読んだ行方不明の警官の新聞記事が思い起こされたが、これらの遺骸のそばには素人にも察しがつくような重火器が転がっていたうえに、服装からして明らかに軍人であった。それに気づいてみれば、どうやらおびただしい数の銃弾が乱射されたらしく、辺りの壁や床の、蜂の巣もかくやといった様子を見て取ることができた。
 邪教が蔓延ると噂され、事実、得体の知れぬ恐るべき何かが闊歩していたであろう村への取り締まり、いや襲撃について世間へ真実が伝えられないことなどは私には当然のように思われた。そのため、眼前に横たわる、腐敗に身を任せるままの軍服を纏った二つの骸の惨状は、そうそう驚くには値しなかった。ただ一つ、奇妙なのは、例の襲撃から十年以上が経過しているのにもかかわらず、この二つの遺体が、然るべき墓石の下で休息をとることなく、今なお唾棄すべき魔窟の底に横たわっている、その事実そのものなのだった。
 この二つの遺体が未だ回収されていない理由は何なのか。これらの人物の存在を、消し去りたい理由でもあったのか、それとも単純に、仲間や部下の遺体を捨て置いてまで、この村と関わりを持ちたくないのか。
 とはいえ、いかなる理由があったにしろ、軍隊までもがかつて村に巣食っていた恐るべき何かと対峙し、そして命からがら敗走したことは明らかであった。この事実は私の不安感を煽るとともに、その証明とも言えるものが横たわることを止めないその場から、不快な温風の渦巻き来る暗闇の先へと、速やかに私の足を遠ざけるに至ったのだった。
 上階からの光の見えなくなる闇の奥へと、あまりに小さく思えてしまう灯りと足元の感覚を頼りに、二〇メートルほど進むと、木製の壁に大穴が空いていることに気がついた。直径十五メートル弱のそれは、もはや穴というより部屋からそのまま続く通路のようで、足元から伝わる独特の感触と、テラテラとした反射光がなかったならば、それと気づかなかっただろう。木製の壁は破壊されたというより腐食性のある液体か何かで溶かされたかのようだった。しかし、つぶさに探してみたが焦げ目などは一切なく、一体何を用いたのか、皆目見当もつかなかった。
 通路の壁面は滑らか、かつ鈍い光沢があって、甲虫類の蛹が過ごす土中の空間か、もしくは鍾乳洞を思い起こさせた。例の透明の泥がパテで壁面に塗り固められているかのようになっており、ゼリーとゴムをないまぜにしたような感触がなんとも不愉快だった。半ば固形化したためか若干悪臭は弱まってはいたものの、それでもやはり鼻につくことに変わりはなかった。
 周囲をよく観察してみるにつれ、透明の泥が壁面下部と床に集中していることに気がついた。特に床に至っては、途中から膝下まで沈むような深みも現れる有様で、そういった場所は床そのものが陥没しているらしく、より神経を張り詰めなくてはならなくなった。しかし、それらをよく注視したためにその事実に気づけたのだろう。深みは一様に奇妙な形をしていたのである。
 それに気づいてから、さらに観察してみると、それらは全て通路の両端に交互にあって、それぞれが五メートル程離れていた。つまり、片側の深みには、それぞれ十メートル程の幅があったということだ。形は進行方向に向かって縦長で、長さ一五〇センチ、幅七〇センチほどの大きさだった。その形状にはいくらか歪なところがあって、それは前部と側部に集中していた。しかし、その深さと、相当年月が経過していたようで――少なくとも私にはそう思えた、否この時はそう思わなくてはならなかった! ――これらの深みが実際に何なのかについては分からなかったし、考えたくもなく、それでいて醜悪な説得力のある推測は、後に立ち現れてきたにせよ、確信の持てる答えは、今なお出せていないのだ。
 それから、どれくらい歩いただろうか。この時、私の感覚はかなり頼りないものになっていて、はっきりとしないが、その口腔を鈍く弱弱しい光を放つ星たちでいっぱいにした、洞窟の出口が見えた頃だった。
 私の耳に、何者かの声が届いたのだった。



    8

 まず、結論から言ってしまうなら、その声は幻覚などではなく、声の主である何者かは確かにいた。
 この瞬間、私は理由も分からぬままに走り出していた。
 これまで書き綴ってきたことで記憶がはっきりとし、整理されつつある今、私は確かに、この声に、どこか懐かしいような、そんな心持ちがして走り出したのだと、そんな突拍子もない推測を立てることはできる。しかし、一つ申し添えておくが、私はそれまでその声を聴いたことは一度としてなかったし、それから再び聴くことも決してなかった。そんなことはあってはならない!
 とにかく、透明の泥に足を取られ、ほとんど倒れこむようにして洞窟から出ると、私は村を南北に貫く涸れ川にいることに気がついた。思い返してみれば、村に点在する廃屋を調べたときには、耐えがたい悪臭のために、川の南端と北端を横切ったのみだった。しかし、どうやら屋敷の地下と、涸れ川は繋がっていたらしかった。
 この時初めて気がついたのだが、洞窟の出口から北側の涸れ川には、透明の泥が著しく少ないようだった。
 この事実について私が狂った思考――そう全くもってありえない狂った思考だ! ――を巡らしたとき、再びあの声が、後方高くから、その悪魔神秘的とでもいうべき、矛盾を孕んだ名状し難い音階を持って、相変わらず不気味な生温さを孕んだ晩秋の山の大気を震わした。音色といっていいものか、その声の調子は、生物が出せるものとは到底思えず、かと言って何らかの機械を使って出せるとも思えなかった。それでいて、奇怪な感情じみた要素がそこにはあって、それを声だと即座に私に確信させたのだった。くぐもっているようではっきりと聞こえ、高いと同時に低かった。人知を超えた異なる二つの何かが、同時に発声しているかのようだった。
 後ろを見上げると、薄弱な月明かりが、曖昧模糊とした、悍ましく、巨大な影を、私の視界に伸び上がらせた。
 その形は、まるで熟れ過ぎて落ちた巨大な果実が、腐り、爛れ、その身に幾万もの毒蟲をたからせながら、抱く子らの腐敗の果てに変質した一つを、浅ましくも芽吹かせ、その運命を、境遇を、そして自らを創り、地に落としたもうた神を、呪っているかのようだった。
 しかし、数瞬の後、一体何が起きたのか、無残に破壊され潰れた屋敷と、奇形の梅の大樹の残骸から成る、趣味の悪いことこの上ないオブジェの上に、何者かが立っているのだと気がついた。崩れ傾いでもなお、その身を天へと向けることを止めない梅の大樹の梢に立ち、左手に燃え盛る松明を持ち、右手を幹に添えていた。視線は真っ直ぐと天へと向けられ、遥かなる頭上では、私がH村で見た、あの青白い星が瞬いた。
 奇妙な、忘れられない人物だった。
 身の丈はおよそ二メートル五〇センチで、手足が異様に長かった。羽織っている、ゆったりとした黒いコートとフードのせいで、地肌は一切見えなかった。袖は手首を少し超える程で、裾は全く足を隠してしまっていた。生温い風がその身を遊ばせるたび、また松明の炎が揺らいでチラチラと輝くたびに、指先と爪先で何かの金属が煌めいた。目深に被ったフードの奥には、汚れひとつない白が覗いた。どうやら無地の面をつけているらしく、目があるであろう部分には、底の見えない真っ黒な穴が、二つぽっかりと空いていた。
 その人物は未だに何事か、外国語とも知れぬ言葉を延々と呟き続けていたが、私はこの時、完全に呆気にとられてしまい、全く何もすることができなかった。思考がまとまらなかった。その人物に完全に釘づけとなっていた。
 すると、その人物は一瞬こちらを見たかと思うと、再び天を、否あの星を見据え、松明を高々と掲げた。そして、山中に響き渡る、怪物の咆哮の如き大音声を上げた。

 ふんぐるい
          むぐるうなふ
くとぅぐあ
      ほまるはうと
 うがあ=ぐああ
      なふる    たぐん!
  いあ! くとぅぐあ!

 その声は、祈りのようにも、呪いのようにも、ただただ悲痛な叫びのようにも聞こえた。安堵しているようでも、激怒しているようでも、咽び泣いているようでもあった。平穏と憎悪と悲哀が、その響きの中に同居していた。
 そして、数拍の完全なる静寂。刹那、あの青白い星から一筋の光の螺旋が、二十二光年もの距離を瞬きにも満たない時間で駆け抜け、凄まじい轟音と熱波とをともなって、松明の炎へと到達した。みるみるうちに光、否炎の螺旋は吸いこまれていき、とうとう完全にその中へと消えた。
 再びの静寂の後、その人物が何事かを叫んだ。松明の炎が、蕾が開くように、奇妙に揺らいだかと思うと、脈動し、煮え滾る、遍く邪悪を浄化するかの如き白き炎が、激流のように噴出し、晩秋の黒き空を、彼岸花の赤き大地を、ジリジリと焦がした。
 やがて白き炎の幾多もの奔流は、絡み、混ざり合い、白き炎の球体へと収束した。
 轟音を上げ、脈動し、悍ましい程に神々しく、すべてを焦土へと変えんばかりに燃え盛る白炎の球。生きている炎としか言いようのない何か。
 それはまさに、地上に顕現した太陽そのものだった。
 地球上の全て、まさに全ての生物を育んできた太陽。それがその時目の前にあった。私の希望に溢れる未来への道を焼き尽くした高次元の存在――神が――目の前にいた。
 それの何と恐ろしかったことか!
 白炎の球は蠢き、火柱を辺りに吹きつけながら、大樹の梢に立つ人物へと近づいて行った。
 その誰かに恐れた様子はなかった。身じろぎすらせず、救いを求めるかのように、灼熱の白を受け入れた。白面が、黒いコートが、燃え上がりさえせずに溶け落ちていった。
 白い炎の揺らめきで、体はほとんど見えなかった。そうだというのに、顔だけははっきりと見えてしまったのは、偶然なのか、はたまた必然なのか。
 巨大なサナダムシのような髪が、幾本も、幾本も、まるでそれぞれが意思を持っているかのように蠢き、灼熱から、その苦しみから浅ましくも逃れようと、その身を捩り、もがき足掻いているようだった。
 髪が灰となり、崩れ落ちたと同時に、白面が完全に溶け落ちた。
 白面の下には、再び仮面があった。仮面は肉厚で、シリコンか何かでできているのではないかと思えた。仮面は肌と完全に癒着していたようだったので、特殊メイクの類いであったのかもしれない。色は脂ぎった虹色のてかりを持ったくすんだ灰色で、幼児が滅茶苦茶に捏ね繰り回したような、何とも言えない歪んだ外形をしていた。両頬と顎を縁取るようにして、頭足類を思わせる大小様々な触手がびっしりと生えていた。そして、仮面を穿つ二つの穴蔵で、決して人のものではない、黒一色の瞳が輝き、真一文字に結ばれていた口元が、触手を震わせて笑うように歪んだ。この、辛うじて表情と呼べるかもしれない挙動が、私は何故か懐かしいような気がした。
 そしてあの、彼の不幸を、哀しみを、怒りを象徴すると思われる醜悪なオブジェも、純白の炎に包まれた。彼の祈りか、願いか、はたまた呪いか。彼の生を嘲笑い続けた邪悪の根源は、他ならぬ彼自身によって、白熱する火柱へ姿を変えて、天と地を溶かさんばかりに燃え上がった。
 気づくと、私は駆け出していた。踵を返し、全速力で、駆けた。
 村を訪れた目的を果たさぬまま、放棄して逃げ出したからと言って、臆病者だの、意思が弱いだのと、思わないで頂きたい。狂ってしまった私の中で、唯一残っていた目的すら、容易に溶かし尽す程に、あの炎の神は恐ろしかった。私はあの時に悟ったのだ。真に神々しいものには、善も悪も無い。ひたすらに悍ましく、圧倒的で、恐ろしい何かなのだということを。
 今や神火の円柱は、この悍ましい地そのものを、それが生まれた地球の腹の底へと溶かし落とさんばかりに荒ぶり、裁きの限りを尽くそうと動き始めていた。無数の炎が、本来あり得るべきでない形で全てに、そうまさしく全てに向けて撃ち出された。草木は触れる前に蒸発した。土や岩ですらドロドロに溶け、最早溶岩地帯と変わらなかった。無数の白熱した鋭い円錐が凄まじい速度で飛び交っていた。炎でできた槍だった。槍の形をした炎だった。火の神の裁きの具現とも言うべきそれは、森に、大地に、空にすら等しく降り注ぎ、世界を灼熱の白で染め上げた。
 背後で文字通りの灼熱地獄が顕現する中、私は駆け続け森の深くへと逃れようとした。しかしその間際で、炎神の槍が私の左手の指先を駆け抜けた。肘から先は、塵すら残さず蒸発し、肩から肘にかけては灰となって虚空へと舞い散った。左腕が丸ごと消滅した後の断面には、今や闇よりも暗い純黒が焦げついている。
 それでも私は止まらなかった。痛みすら感じなかった。左腕が無くなったことには気づいたが、取るに足らぬこととしか思えなかった。この時私の中には、目的も、思考も、感覚も、ほとんど残されてはいなかった。あったのはただ、人類の持つ中で最も古く、もっとも強い感情。未知なるものへの恐怖であった。未知なるものからの逃走に必要なもののみを残し、私の全ては未知なるものへの恐怖で塗りつぶされた。恐怖のみで私は走った。恐怖のみが私を生かした。
 不幸中の幸い、というべきだろうか。左腕関節が焦げついたおかげで、失血死には至らなかった。
 気がつくと私は、暖かく柔らかな火が、金色の稲穂を照らす様を見ていた。H村へと命からがら帰還した私は、村長夫妻の手によって保護されたのだった。

*  *  *

 これで、私はようやく理解した。
 今まで数えきれない程に自問を続けてきた疑問。それに答えを出すための私の全ての記憶は、ついに尽く明らかとなった。
 一縷を殺したであろう生物は結局何だったのか。
 赤駒家の蔵にあったミイラは一体何だったのか。
 赤駒村で崇拝されていたものは何だったのか。
 屋敷の地下から涸れ川の下流を通り森の中へと消えた半透明の泥は何を意味しているのか。
 火の神を受け入れた時の彼―—いや、誰かだ! 一体誰だ! 彼だなどと言うやつは! 見覚えもなかったし、声にも決して聞き覚えが無いと言ったはずだ! それならばあれが誰かなど、推測することなどできはしないのだから! ――の表情に懐かしさを覚えた気がしたのは何故なのか。あの人物がつけていたのは本当に仮面だったのか。
 さらに湧いてくるこれら雑多で混沌とした疑問の答え。
 それについて考えることは重要ではない。考えることなどあってはならない。考えるには恐ろしすぎる、いやあまりにも馬鹿馬鹿しいことなのだ!
 このような結論が出たからには、思い出したこれら悍ましき記憶の全てを、忘却の闇に葬るべく活動を開始しなければならないだろう!
 まずは腕のいい催眠療法士でも探すとしようか。それでも駄目ならば、錐で頭蓋に穴を開け、記憶を直接破壊しなければならない! そうすれば私はようやく平穏で、暖かな日常という矮小ながら人類には絶対に必要な領域へと帰還することができるのだ!
 この手記をまとめて見せれば、多少の良識のある人間ならば、私がどのような状態か、そしてどれ程救いを求めているのか、瞬時に理解して頂けるだろう!
 いや、何だこれは。同じような内容の手記が、部屋にいくつも散らばっている。これは一体どういうことだ。よもや私が、同じことを延々と、忘却と追憶とをひたすらに繰り返しただけとでもいうつもりか! そんなことがあるはずはない。だとすればこれはただの幻覚なのだ。そもそも追いつめられていた私の心が、あまりに脳を酷使したために見せているだけなのだ。
 だから、こうしてぐるりと見渡して、おかしなものが見えたとしても、それは全て真実ではない。未だに南中を続けているあの青白い星も幻覚なのだ。当然だ。この手記を書きつけ始めてからどれだけの時間が経ったと思っているのだ。だから、あの青白い星の光が増していても、徐々に大きくなっていても

 いや、そんな! まさか! あれは、あの火は!
 ああ! ああ! 間に合わない! 今から逃げ出してももう遅い! 何故今さら来た! 何故ここが分かった!
 ああ、誰か! 助けてくれ! 誰でもいい! 何でもいい! あの炎から逃れるためなら、何にだって縋ってやろう! あの恐怖から解放されるならどんな手段でも構いはしない! 魂を売り渡したって構わない!
 もう本当に時間が無い。はっきりと見える程に迫っている! 熱波がもうここまで届いているのだ!


のがれ すくあいた へあおんを なにゆいいいいいいい


くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ


いあ いあ はすとぅーる!


(了)
スポンサーサイト
2017_03_14

Comments

 

こんばんは。更新楽しみにしている者です。
更新がなかった時期は寂しく思うこともありましたが、最終章が大変な規模と分量で圧倒されました。おつかれさまです。
スランプとのことでしたが、一読者は気長に待っておりますので。
また素敵な作品にお目にかかれる日を心待ちにしています。
 URL   2017-03-14 02:05  

 管理者にだけ表示を許可する

03  « 2017_04 »  05

SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

FC2カウンター

プロフィール

えびじゅう

Author:えびじゅう
海老銃へようこそ。
このページは文芸創作サークル・海老銃の作品掲載をしています。
無断転用・荒し・勧誘はお断りしています。
コメント、批評は大量に受け付けております!

Twitter

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

今日はどんな日?

全記事表示リンク




page
top

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。